大谷翔平の怪我歴!手術はいつ何回した?その内容と病院の場所は?

2023年8月23日にエンゼルスの大谷翔平選手がレッズとの試合中に腕の疲労を訴えて緊急降板しましたね。

現在検査中でまだ検査結果は出ていないようなのでとても心配です。

そこで今回は、大谷翔平選手の今までの怪我歴、いつ何回手術したのか、手術の内容や病院の場所、手術を担当した医師などについてまとめました。

早速行きましょう!

大谷翔平選手の怪我歴は?何回手術した?

まず大谷翔平選手が今まで怪我した回数は日ハム時代に4回エンゼルス時代に4回で、手術をした回数は合計3回です。

では今までの怪我歴や手術内容を所属していたチームの時代ごとにまとめてみました。

まずは日ハム時代から見ていきましょう!

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日ハム時代

2013年 右頬骨不全骨折(みぎほほぼねふぜんこっせつ)

高卒1年目の年に、試合前の練習中に外野で走っていた時に、フリー打撃のボールが右のこめかみの近くに当たって、右頬の骨を折る怪我をしました。

それでも、チームから離脱することなく、その後3日間で行われた試合では、本塁打を打つことができました。

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2016年 指のまめを潰す怪我

7月10日の試合で、大谷選手は登板中に手の指のまめを潰してしまい、そのため途中でピッチングをやめざるを得なくなりました。

この怪我の影響で、その後約2ヶ月間は試合登板ができませんでした。この期間中、主に打者としての役割に集中しました。

2017年 有痛性三角骨障害(ゆうつうせいさんかくこつしょうがい)

2017年の2月、大谷選手は右足首を負傷しました。そのため、3月に予定されていたWBC(ワールドベースボールクラシック)への参加ができず、欠場しました。

この怪我の症状は「有痛性三角骨障害」と診断されました。この状態は、足関節捻挫が繰り返されたり、足関節が強制的に屈曲させられるスポーツ(例えばサッカーでのキック、バレエでのポアント肢位、水泳でのキックなど)において発症しやすいものです。

野球界では、特に投手がこの症状になることが多く、大谷選手も投球の際にこの怪我を負ったと言われています。しかし、内視鏡による足関節後方インピンジメント除去術を受け、無事に手術は成功し、約1ヶ月後には復帰を果たすことができました。

この怪我が最初に手術を必要とする怪我だったんですね。

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2017年 左大腿二頭筋(ひだりだいたいにとうきん)の肉離れ

復帰直後の4月8日の試合で、大谷選手は一塁への走塁中に左ハムストリング(太もも裏)を痛め、そのまま負傷でピッチから離脱しました。

その後、大阪市内の病院での検査の結果、左大腿二頭筋の肉離れと判明し、翌日の4月9日には登録を抹消されました。

この怪我の影響は大きく、その後約2ヶ月以上にわたる長期の欠場となりました。6月27日になってようやく一軍復帰を果たしましたが、そのシーズンは思ったような成績を収めることはできませんでした。

大谷選手が日ハムに所属していた時期に負った怪我は上記の通りです。

続いてエンゼルスに移行したあとの怪我歴を見ていきましょう!

エンゼルス

2018年 右肘の内側側副靱帯損傷(ないそくそくふくじんたいそんしょう)

大谷選手は、その年ついにメジャーリーガーとしてプレーすることとなりましたが、6月8日に右肘の内側側副靱帯を傷つけ、その結果故障者リストに登録されました。

この怪我の際も、手術を必要とせず、約1ヶ月後の7月3日の試合にはバッターとして復帰しました。その後、投手としての復帰は9月2日となり、この日は88日ぶりの登板となりました。

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2018年 新たな右肘の内側側副靱帯損傷

右肘の内側側副靱帯損傷から復帰してわずか3日後の9月2日、再び同じ右肘の内側側副靱帯に新たな損傷が判明しました。医師たちはトミージョン手術を受けることを提案しました。

驚くべきことに、そのわずか5日後に大谷選手は打者としてプレーしました。この後のシーズンでは、主に打者として活躍し、試合に出場し続けました。

そして、同年の10月、大谷選手はついにトミージョン手術を受ける決断をしました。結果手術は成功しました。

2回目の手術はエンゼルスに移行したあとだったんですね。

2019年 左膝蓋骨(ひだりしつがいこつ)の手術

前の年にトミージョン手術を受けた大谷選手は、この年はバッターとしてプレーに専念しました。

打者として試合に出続けましたが、膝に問題が生じ、9月に左膝蓋骨の手術を行うこととなりました。

この手術の影響で、その年のシーズンはプレーできないことが決まりました。

3回目の手術は前回の手術のすぐあとだったんですね。

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2020年 右屈曲回内筋群(みぎくっきょくかいないきんぐん)の損傷

トミージョン手術の後、継続的なリハビリを行った結果、この年の7月に、693日ぶりとなる復帰登板を果たしました。

しかし、復帰後の2戦目となった8月2日の登板時に負傷し、交代せざるを得ませんでした。

後に行われた検査の結果、「右屈曲回内筋群の損傷」が判明しました。このため、残りのシーズンにおいては登板することはできなくなりました。

以上が大谷選手が今まで負ってきた怪我歴です。

今回のレッズとの試合で感じた腕の違和感が大した怪我でないといいですね。

では続いて大谷選手を手術した病院はどこだったのか見ていきましょう!

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大谷選手がトミージョン手術をした病院の場所はどこ?

大谷翔平選手がトミージョン手術を受けた際の手術を担当したのは、ロサンゼルス国際空港の近くに位置するカーラン・ジョーブ整形外科クリニックでした。

このクリニックは、大谷選手がメジャーリーグに移籍する前に行ったメディカルチェックも行った病院です。同じ病院で、ヤンキースの田中将大投手も健康診断を受けたことがあります。

カーラン・ジョーブクリニックは、トミージョン手術の創始者であるフランク・ジョーブ医師に敬意を表して名付けられました。

手術を担当した医師は誰?

大谷選手のトミージョン手術を担当したのはスポーツドクターで片、膝などの担当医であるニール・エラトロッシュ医師です。

ニール医師は、2006年以来、医療界において高く評価され、著名な「米国のベストドクター」に選ばれ続けています。

さらに、2008年から現在に至るまで、南カルフォルニア地域の専門家投票による「スーパードクター」として選出され続けるなど、その卓越したスキルと実績が広く認められています。

彼は医師としての評価だけでなく、メディアからも高い評価を受けており、地元新聞である「ロサンゼルス・デイリーニュース」が主催する「LAスポーツ界で最も影響力のある50人」に選ばれるなど、その影響力は医療分野にとどまらず広がっています。

また、USAトゥデー紙の「MLBで最も影響力のある100人」にも選ばれ、彼の存在はメジャーリーグベースボール界でも注目されていることがうかがえます。

そんな数多くの怪我や手術を乗り越えて頑張っている大谷選手についてのプロフィールや経歴をまとめてみました。

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大谷翔平選手のプロフィールや経歴

大谷選手の画像を以下に貼り付けておきます。

・氏名:大谷翔平(おおたに しょうへい)

・生年月日: 1994年7月5日
・ 出身地: 岩手県花巻市
・身長: 193cm
・体重: 98kg
・利き腕: 右投げ左打ち

ポジション

・ピッチャー(投手)
・バッター(外野手・指名打者)

経歴

・2012年: 花巻東高等学校卒業後、北海道日本ハムファイターズに入団。
・2013年: プロデビューを果たし、投手としてもバッターとしても活躍を見せる。
・2016年: メジャーリーグベースボールのロサンゼルス・エンゼルスに移籍。
・2018年: MLB史上初となる1試合での投手としての先発・外野手としての先発を果たす。
・2021年: オールスターゲームで本塁打競争と投手としての出場を両立させ、話題となる。

主な実績

・2016年: パシフィック・リーグ新人王、最高勝率投手賞。
・2021年: MLBオールスターゲーム出場。
・打者としても投手としても非凡な能力を持ち、両方のポジションで活躍。

その他

・大谷翔平は「大谷翔平早実記念財団」を通じて、子供たちへの野球の普及・支援にも尽力している。

まとめ

いかがでしたか?
今回は、大谷翔平選手の今までの怪我歴、いつ何回手術したのか、手術の内容や病院の場所、手術を担当した医師などについて考察し記事にしました。
最後までご覧頂きありがとうございました!
今後も引き続き執筆活動に勤しんで参りますので、よろしくお願いします^^
おおりの分かりやすいトレンドニュースでした!


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